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「ほう、往診かね」
冷笑するやうな「それは御苦労」と云ふ色が庄谷の眼に現はれたきりで、後は何とも云はない。恐らくそれが彼のふだんの表情であると思はれる、さつき手を額にかざして房一を眺めていたときと同じやうな、横柄な、何か固い糊づけしたやうなものが庄谷の顔にあつた。それは面を被つたみたいに庄谷の顔をくるんでいて、いや顔だけではない、庄谷そのものもすつかりその固いものの背後にかくれてしまつたやうに見えた。
房一が道平を送つて行くことになつた。
盛子は笑ひながら顔を紅らめた。
今、房一の顔に現れているのはさういふ怒気だつた。ただ、それは盛子に向けられているのでなしに、房一の内部に立ちはだかり、自ら押へつけしている、それから来る圧迫感だつた。――
房一はにやりとした。水神淵と云へばこゝらで一番のギギウの棲家だつた。彼等はよく出かけたものだつた。岩の上に腹ばひになつて巣の前に糸を垂らす。すると、水底では今針から落したばかりの奴が懲りもせずに餌に食ひつく、水気で腹の下の岩は生暖いが背中は日でぢりぢりして来る。急に水にとびこんで身体を冷やす、それから又足を逆さに今にも落ちこみさうな恰好で岩の上に腹ばひになる。――
とてもそんなことは!といふ風に房一は答へた。
浴場は石とセメントで築きあげた、地下牢のような感じの共同湯であった。その巌丈がんじょうな石の壁は豪雨のたびごとに汎濫する溪の水を支えとめるためで、その壁に刳くり抜かれた溪ぎわへの一つの出口がまた牢門そっくりなのであった。昼間その温泉に涵ひたりながら「牢門」のそとを眺めていると、明るい日光の下で白く白く高まっている瀬のたぎりが眼の高さに見えた。差し出ている楓かえでの枝が見えた。そのアーチ形の風景のなかを弾丸のように川烏かわうが飛び抜けた。
「なに、ろくでもない用事で帰つたもんですから、どこへも失礼していたんです」
「あれだね、君は見かけによらない――親思ひなんだね!」
「そんなこと位は造作もない。おれにとつては小指の先の芸当だ」
「わたし、あれらしいのよ」
云ひ終ると、直造は叮重ていちように頭を下げた。